第1日目:10月31日(土)
曇り後晴れ
前鬼林道ゲート〜楊子ノ宿
 
《コースタイム》 前鬼林道ゲート(5:55)〜前鬼小仲坊(6:45)〜二つ岩(8:15)〜太古の辻(9:30)〜釈迦ケ岳(11:45/12:15)〜孔雀覗き(13:56)〜楊子ノ宿(16:00) 
 前鬼林道ゲートをより奥駈道を目指す。
 静寂な山中に立つ小仲坊の傍から登り始める。急登が続き重いザックが足の運びを鈍らせる 奇岩の二ツ岩、遠くに見える五百羅漢の岩峰群が大峰の厳しい山を感じさせる。
 釈迦ケ岳〜孔雀岳〜仏生岳へと進む。紅葉を楽しむには少し遅かったが岩稜帯、笹原、倒木の平原と道を踏み楊子ケ宿に到着。男性陣が重いテント装備を担ぎ上げてくださったが寒さ、疲れもあり全員小屋での宿泊とし、明日の英気を養うことにした。
(N.Has)
 
10月31日の行程軌跡図
(クリックすると別ウィンドウで開きます)


@前鬼〜深仙 A深仙〜楊子ノ宿
 
 
まだ日の出前、前鬼林道のゲートをヘッドランプをつけて出発。
やがて夜が明けて、しばらく林道を辿り、小仲坊に到着しました。
 


第29番靡:前鬼山
白鳳時代、生駒山暗峠の東(現、生駒市鬼取町)に住んでいた前鬼・後鬼が役行者に回心させられ弟子となり、この地で共に修行したのが起源と伝える。現在の宿坊(小仲坊)を守るのはその末裔、第61代五鬼助義之氏。


静かなたたずまいの前鬼小仲坊。 






小仲坊には昔からの行者堂(左)が残る一方、清潔なトイレ(中央)もあり、素泊まり用の宿泊所(右)も建てられています。 




紅葉はここ前鬼ですでにピークを迎えています。




いよいよ登山道へ出発!
太古の森の中を少しずつ高度を稼いでいきます。 

第30番靡:千草岳
所在不詳の行場。

小さな岩峰の前に山名標があるのを、ETさんが頑張って見に行ってくれました。
西行法師の歌にも詠まれた「千草岳」をここに想定しているようです。 




斜度がどんどんきつくなります。
登山道には木道が整備されていますが、これがまたしんどい!




大日谷中腹の淡い紅葉の美しいこと! 




 第33番靡:二ツ岩
二柱の岩の周りを、8の字を描きながら周回する修行が行われる。この岩の少し手前にある倶利伽羅岩は、かつての女人結界。


両童子岩に到着です。
このあとが長いので、万一のことを考えて、岩に登るのは遠慮しました。
 




進むにつれ、傾斜はどんどんきつくなっていきます。鎖場(なくてもOKですが・・・)も出てきました。




美しい紅葉 に混ざって、冬枯れもちらほら。標高が高くなってきたことを実感させられます。




 第34番靡:千手岳
頂上に千手観音像が安置されている。深仙や大日の行場と一体であったと想像されるが、険しい岩稜で、現在は上級登山者以外近づけない難所となっている。

大日谷をはさんで、紅葉に映える千手岳の岩稜。 




長くつらい木道の登りが続きます。
 



ようやく奥駈主稜線との出合、太古の辻まで来ました。
「新宮山彦グループ」によって設置された道標の後ろにある石は、「二つ石」と呼ばれ、本来の第33番靡「二つ石」はここのことだと推定されています。




 第35番靡:大日岳
頂上には大日如来像が鎮座する。斜度40度の露岩壁を安政年間にとりつけられた鎖を助けに攀じ登る行が最近まで行われていた。

深仙の宿から大日岳をふりかえったとき、ちょうど修験者が大岩を登っているのが見えました。
  




 第36番靡:五角仙 / 第37番靡:聖天の森
大日岳と深仙の間に位置する岩稜に富んだ行場と伝えるが、正確な場所は定かではない。


小ピークの上に尖った岩が・・・。ここが五角仙では?
  




 第38番靡:深仙(じんせん)の宿
大峰奥駈のほぼ中央に位置する要所。かつては宿坊もあり、ここに7日間滞在して付近の行場を巡ったという。


灌頂堂と避難小屋が並ぶ深仙の宿に到着。
右手「四天岩」の下に「香精水」が湧いているはずですが、溜まり水のため、今回の水補給は千丈平で行うことにしました。ところが・・・  




深仙からは花瀬の「ほんみち道場」が開いたトラヴァース道を辿って千丈平の水場へ。ところが、あの「行者の隠し水」がなんと涸れていました! これは大ショック!
いつもたいてい出ているこの水がないとなれば、このあと「鳥の水」も楊子の宿の水場もまず期待できません。このあと極力節水を心がけることにして出発です(やれやれ)。




 第40番靡:釈迦ヶ岳
釈迦如来が説法する姿に山容が似ていることからこの名がついた。かつては山頂に釈迦堂があったが、強風のため次第に崩壊・消滅したという。

おなじみ釈迦ヶ岳。いつもは西から登りますが、前鬼から登ったのはほとんど全員初めてです。あのつらい道を通って、台座だけでも100kgを越える釈迦如来像を担ぎ上げた強力「オニ雅」って想像を絶する人物ですね(当時は前鬼林道もなかった!)。
西風が冷たく、お釈迦様の足元にうずくまって昼食をいただきました。
 




ほんとうに寒いですが、だんだん青空が出てきました。
北の方向にはこれから辿る孔雀岳(中央)と仏生岳(左)が望まれます。
今日のお宿は仏生を越えた先です。まだまだ遠い!




釈迦ヶ岳から北への下りは峰中最も変化に富んだ面白いコース。
「馬ノ背」の鎖場(左)を越え、岩稜の登り返しや急下降を繰り返します。 




孔雀岳との鞍部から釈迦ヶ岳をふり返ります。
南からの斜面とは斜度が全然違いますね。 




 第41番靡:空鉢岳
奇岩・奇石が並ぶこの一帯には、さまざまな名前のついた行場があるが、そのすべてが必ずしも特定できるわけではない。

通るたび印象に残るこの奇岩は空鉢岳と呼ばれるそうです。その下に続く岩峰は「行者の座禅石」。




「椽ノ鼻(えんのはな)」の絶景。 ここには蔵王権現が鎮座しています。




大岩の間を通る「両部分け」、「鐺返し(こじりがえし)」を越えて、ようやく穏やかな笹原にさしかかると、孔雀への登りが始まります。




 第42番靡:孔雀岳
孔雀覗で修行が行われたと想定されるが、現在の奥駈道は孔雀岳の頂は踏まない。水が得られるからだろうか、かつては宿もあったらしい。

孔雀覗き。切り立った東斜面の下は奈落。天候がどんどん回復してきました。




眼下には、淡い紅葉をまとった五百羅漢(十六羅漢とも)の絶景が! 




苔むした岩の道は、孔雀岳ピークの西を捲いて行きます。
我々の通過をじっと見守る鹿。全然動きません。
鳥の水はやはり涸れていました。




 第43番靡:仏生ヶ岳
大峰山脈の中で、八経ヶ岳に次ぐ標高を持ち、大きさを感じさせる山。なだらかな山容にも関わらず、奥駈道は西を捲く。

仏生ヶ岳と、その西に七面山を眺めながら、気持ちのよいなだらかな尾根道を進みます。 




青空の下、仏生ヶ岳を捲き道で越えれば、今夜の宿「楊子ノ宿」はすぐです。 




 第44番靡:楊子ノ宿
楊枝ノ森と仏生ヶ岳の鞍部に位置する。水場があるため、古くから宿とされた。

楊子の宿は、奥駈道から標識に従って東へすこし下ったところにあります。
ログハウス風のしゃれた避難小屋は2001年に建てられました。
もともとは幕営の予定でしたが、気温が非常に低いため、全員小屋泊としました。
水場は小屋から東へ5分ほど下ったところで、わずかに出ていました。2リットルほどをしばらくかけて汲み、夕食の足しにすることができました。  
 
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