第1日目:5月28日(土)
曇り
行仙岳隧道東口〜行仙岳〜持経ノ宿
 
《コースタイム》白谷隧道東口(10:00)〜行仙岳(11:20/40)〜怒田宿跡(11:55)〜P1170付近〔昼食〕(12:30/55)〜倶利伽羅岳(13:40/45)〜転法輪岳(14:25/40)〜平治ノ宿(15:05/10)〜千日刈峰行碑(15:22)〜持経ノ宿(16:30)〔泊〕

 おだやかな山容の山々が幾重にも重なり合い、どこまでも伸びていく大峰の稜線。迎えてくれる自然林と、人工林の緑のコントラストの美しさ、ヤシオツツジの古木やヒメシャラ・ブナの茂る自然林に心を癒された。(S.Tag.)

  
5月28日の行程軌跡図
(クリックすると別ウィンドウで開きます)


白谷隧道東口〜持経宿
 
 
◆登山口にて。送迎下さったTさんと共に。
   ◆途中休憩地点で地図読みを試みるメンバー。
      ◆稜線までの標高差約350m。途中は鉄階段の連続です。
 




第19番靡:行仙岳<ぎょうせんだけ>
かつての靡き「行仙岳」は現在の山頂よりもかなり南、笠捨越に近いあたりにあったと伝える。行仙岳頂上付近は現在、NHKとNTTの電波塔があるため、山頂が切り開かれて展望が良くなっている。


最初の急登を終えてほっと一息。でもまだ先は長い長い・・・ 




◆倶利伽羅岳(左)から転法輪岳(右)へと続く稜線を望みます。




◆行仙岳からは自然林の中を下り、途中で捲き道と合流します(中央の写真)。 




第20番靡:怒田宿<ぬたのしゅく>
役行者が如法経典を埋納したとされる聖地。西へ下ったところに水量は細いながらも水場があり、南奥駈の宿として多くの修行僧が利用した。明治の修験道廃止令以降は荒廃したため、岐阜出身の実利<じつかが>行者が宿の復興に尽力した。実利は後に那智の滝から座禅を組んだまま捨身・入定する。


◆行仙岳の北、鞍部の少し手前に怒田宿跡はあります。急な下りはここまで。 




◆怒田宿跡からは、小さなコブをいくつも越えて稜線を進みます。
   ◆昼食休憩中も熱心に地図読みをするメンバー。
      ◆シャクナゲの木は多いですが、花はほぼ終わっていました。




◆倶利伽羅岳への登りが始まります。
   ◆シロヤシオも散りかけています。。 




◆本日2座目、倶利伽羅岳(1,252m)に到着。 




◆この一帯、ヒメシャラの木が多く、手を回すと冷たくて気持ちいい!
   ◆ヒメシャラの巨木。今回最大




◆本日3座目、転法輪岳(1,282m)頂上。
   ◆ここでもみなさん地図を確認!コンパスも使ってくださいね。。




◆霧に煙るブナの森。
 




第21番靡:平治宿<へいじのしゅく>
修験道中興の祖、理源大師がこの地で大蛇を呪縛、それをはるか東の谷に投げたのが今の明神池(下北山村池峯)になったと伝える。明治以降荒廃していたこの地に1956年に三井寺が小屋を建設、1975年に南からの順峰奥駈を復活させた。現在の小屋は1991年に新宮山彦グループが新築したものである。。


◆平治宿小屋は約10人定員の小さな小屋で、西に5分下れば水場があります。この日はすでに一人の宿泊者がおられました。




◆平治宿と持経宿の間、東からの中又尾根が合流する地点には、新宮山彦グループの「千日刈峰行第1回昭和59年6月9日〜10日」という記念碑が立っています。それまで2m近いスズタケに覆われて廃道寸前であった南奥駈道を復活させるべく、修行僧の「千日回峰」になぞらえて、笹竹刈りを開始したのがこの日だったということです。私たちが今日こうしてこの道を歩けるのは、新宮山彦グループの方々が今も続けられている「千日刈峰」のお蔭にほかなりません。




◆大峰巨樹として大切にされているミズナラの木。皆さんの手をつないで、木の太さを実感しています。




第22番靡:持経宿<じきょうのしゅく>
役行者が所持していた孔雀明王経を納めた場所ということから「持経」の名がついたと言う。1977年、奥駈葉衣会の前田勇一氏が持経宿再建を発案、建設費用はすべて寄付によって賄われ、1979年8月に落成式が挙行された。前田氏の死去により奥駈葉衣会は解散するが、その志を継いだ新宮山彦グループが小屋の維持を続けて今日に至る。豊富な水場が池郷林道沿いに北東へ400m歩いたところにある。



◆奥駈道の両側から林道が近づいてくると、持経千年檜と不動明王を祀るお堂がある小高い丘に着きます。さらに進めば奥駈道は林道に合流、ほどなくして本日の宿「持経宿小屋」に到着します。現在この林道は途中から上は一般車通行止ですが、徒歩3時間で国道169号線に達することができ(車が入れるところまでは1時間半で到達可能)、南奥駈道の重要なエスケープルートにもなっています。、
 
 
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