第2日目:5月29日(日) 晴れ後曇り一時雨 持経ノ宿〜太古ノ辻〜前鬼 |
《コースタイム》 持経ノ宿(5:50)〜阿須迦利岳(6:20/30)〜証誠無漏岳(7:10)〜涅槃岳(7:44/58)〜般若岳(9:17)〜ティータイム(9:30/58)〜地蔵岳(10:18)〜天狗山(11:40/12:00)〜蘇莫岳(12:50)〜太古ノ辻(13:05)〜両童子岩(13:56/14:20)〜前鬼小仲坊(15:20/28)〜前鬼林道ゲート(15:59) |
南奥駈の奥深さと醍醐味、シロヤシオ、山つつじ、満開を一寸過ぎた石楠花、オオヤマレンゲ等花達の競演とゆったりした時間配分で十分楽しめた奥駈道でした。(Ch.Kam.) |
5月29日の行程軌跡図 (クリックすると別ウィンドウで開きます) @持経宿〜天狗山 A天狗山〜前鬼林道ゲート |
◆4時50分、持経ノ宿の前でご来光を拝みます。 ◆6時前、快適な一夜を過ごした小屋を後にして出発です。 |
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◆小屋の横からいきなり急登。でも、たっぷり寝たから大丈夫! ◆阿須迦利岳<あすかりだけ>(1,251m)到着。今日は昨日より少しペース が速めです。 |
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◆阿須迦利岳から滑りやすい急坂を慎重に下ると、今度はほぼ垂直の鎖場が待っています。今回の行程で唯一の難所ですが、皆さん何の問題もなく通過しました。 |
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第23番靡:乾光門(証誠無漏岳<しょうじょうむろうだけ>) 「証誠無漏」とは清浄にして邪心無きこと。乾光門は、拝返りの宿とも呼ばれ、山上ヶ岳の発心門、等覚門から、妙覚門、乾光門の四門をはるかに超えて、大峰信仰の神々を拝み返すの意。 ◆難路を越えれば、証誠無漏岳(1,301m)はすぐです。 |
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◆ここからは、ピラミダルな美しい山容の涅槃岳を目指します。 |
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◆連なる山の向こうに、なつかしい釈迦ヶ岳が見えます。 ◆気持ちのよいブナ林の中をゆったりと登ります。 |
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第24番靡:涅槃岳<ねはんだけ> 頂上に涅槃台と呼ばれる霊石があると伝えられているが確認できない。 ◆涅槃岳(1,376m)に到着。頂上付近は美しいブナに覆われています。。 |
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◆おりしも落花盛んなシロヤシオの絨毯の上を緩やかに下っていきます。 |
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◆涅槃岳と滝川辻の鞍部に立つ「乾光門」の道標。もともとここには剣光童子石が祀られたそうですが、「剣光」と呼ぶべきところ、証誠無漏岳に位置する「乾光門」と混同されたようです。 ◆岩山を捲きながら、再び登りが始まります。 |
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第25番靡:般若岳<はんにゃだけ> 滝川辻の少し北、奥駈道の東側にある小さな丘のような山であるが、南からは険しい岩峰の姿を見ることができる。 ◆岩峰の基部、大岩の西を捲いて行きます。 ◆般若岳の標識は、岩峰から少し北北東へ下ったところにあります。 |
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第26番靡:子守岳<こもりだけ>(地蔵岳) 山頂には小さな金色の地蔵菩薩の像が置かれている。明治以降に七十五靡に組み入れられた地で、子守岳という名称のいわれも不明とのこと。 ◆倒れた木からそのまま枝が上へ延びています。 ◆地蔵岳(1,464m)到着。そろそろアップダウンにも慣れてきました。 |
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◆北奥駈道を思わせる笹原のプロムナードを下れば・・・ |
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◆嫁越峠<よめこしとうげ>に到着。かつて十津川村と下北山村を結んだ生活路がここで奥駈道と交差していたと伝えられています。奥駈道は女人禁制だったため、この峠を嫁入り行列が通過する際のみ、三尺の幅のみ女性の通過を許したとのこと。今回は無事嫁入りを果たした皆さんで記念撮影をしました。 |
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◆峠からはまた登り。新緑の木々に真っ赤な山躑躅が映えます! |
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第27番靡:奥守岳<おくもりだけ> 明治以前には一切記録に現れない靡き。地理院の地形図には山名も標高の表示はない。一説には、嫁越峠をはさんで北のピークを「大森岳」(=奥守岳?)、南のピークを「小森岳」(=子守岳?)とも。 ◆奥守岳(1,480〜1,490m程度)周辺にはシロヤシオの大木が多く、南部に較べて標高が高いせいか、ちょうど満開の花をつけていました。 |
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◆シロヤシオを愛でながら、バイケイソウの群生地を進みます。 |
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◆天狗山(1,537m)に到着。山頂は稜線から東に突き出ているため、展望がよいのですが、ガスがでてきて釈迦ヶ岳は隠れてしましました。 ◆北東方向、大日岳の鋭鋒から深仙、釈迦ヶ岳への稜線が見えます。 |
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◆天狗山ではシロヤシオが今まさに盛り!やや紅の入った花が可愛らしいです。 |
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◆こちらはその名のとおり、真っ白なシロヤシオも満開。 |
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◆シロヤシオに囲まれての昼食。 ◆三等三角点をタッチして記念撮影。 |
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◆シロヤシオの道を登り、咲き残る石楠花の道を下ります。 |
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◆名にし負はば・・・石楠花岳(1,472m)の南はシャクナゲの海。盛りが過ぎた木々のなかに、わずかに遅咲きの一本を発見。満開の季節にもう一度来たいですね。 |
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◆石楠花岳の西側を捲くころには、なぜかシャクナゲの木は見られなくなり、ふたたび満開のシロヤシオの稜線となります。やがて大岩があちらこちらに目立つようになり、霧の中のシロヤシオが不思議な雰囲気を醸し出すと・・・ |
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第32番靡:蘇莫岳<そばくだけ> 役行者がこの山頂にて笛を吹いたところ、その音色を愛でて山神(鬼神とも)が現れ、舞を舞った。その姿を写したのが「蘇莫者の舞」で、以降、雅楽における舞曲として伝えられることとなった。なお、聖徳太子が信貴山(亀の瀬とも)で尺八を吹いた際にも同じく山神が舞を舞い、そこから「蘇莫者の舞」が生まれたという言い伝えもある。おそらくこの二つは、さらに時代をさかのぼった同じ伝説から出ているものであろう。 ◆蘇莫岳(1,521m)は岩稜に石楠花がしがみついているような山容で、神であれ、鬼であれ、いずれ人ではない者が現れそうな雰囲気に満ちています。山神が舞ったという石の舞台前にて記念撮影をしました。 |
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第33番靡:二ツ石(太古ノ辻) 太古ノ辻には、1m程の高さの尖った石が二つならんで立っている(「これより南奥駈道」の標識のすぐ南側)。これが靡きの名の由来であるが、前鬼に下る途中の両童子岩もまた「二ツ石」と呼ばれ、こちらも33番靡きとの説もある。いずれも、深仙を中心とした広域の行場に含まれていたものと考えられる。 ◆これもまた大峰らしい霧の中、ようやく南奥駈道の北の終点「太古ノ辻」に到着です。新宮山彦グループが後を継いだ「奥駈葉衣会」の名を記した新しい標識を前に記念撮影(先代の標識は昨夜泊まった持経ノ宿に飾ってありました)。これで前回の奥駈山行(2015秋)と軌跡がつながりました。 |
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◆太古ノ辻から前鬼小仲坊まで、標高差650mを一気に下ります。涸れ沢の渡渉が三度、最後まで気が抜けない道です。 |
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◆新緑も鮮やかな太古の森を下る。 |
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◆両童子岩にて最後の大休憩。新客さん(奥駈修行に初めて参加した人をこう呼ぶ)4名で再度記念撮影。 |
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第29番靡:前鬼山 奥駈修行の重要な拠点である前鬼小仲坊の現当主:五鬼助義之<ごきじょうよしゆき>氏は、白鳳時代(7世紀後半)に生駒山に住んでいた前鬼・後鬼を役行者が帰依させたのがその祖先と伝える。 ◆私たちが下山した日は、毎年恒例の熊野講の一行が前鬼に下りてこられる日だったため、小仲坊には多くの方がもてなしのため来られていました。小仲坊第61代当主五鬼助義之氏(右の写真中央)、今回の山行でお世話になった、新宮山彦グループの沖崎氏にもお会いできました。 |
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◆一足早いオオヤマレンゲの開花(前鬼小仲坊にて) ◆前鬼林道にて、可憐な花にも出会いました。 |
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完 |
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